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れすとらんのお話:Nicole (ニコレ) :: 2011/04/12(Tue)

福岡市中央区赤坂にあるレストランカフェ、ニコレさんで
atoaが展示会をさせていただいた際に書いた「ニコレのお話」です。
ちょっと展示の時から手をいれました。
書いた頃はまだ春前でしたが、
もうニコレさんの前の桜は葉桜になりつつあります。
時はすぐに移ろっていくのですね。

ニコレさんのあんまり更新されていない(笑)ブログはこちらClick!


ーーーーーーーー*–––***–––

Nicole (ニコレ)



 もうすぐ春、という声が掛かってからというもの、彼女はついてなかった。
発端は風邪で、暖房の効きすぎたデパートやショップをうろつく間に喉がイガイガし始め、
次第に焼けつくように痛くなった。
その痛みが咳に変化するのもあっという間だった。
喋ろうとすると咳が出て、止まらなくなり、しまいには涙まで出た。
 「私はもう喋りたくないのかもしれない」
にっちもさっちもいかなくなり会社を休んだ日の夕時、彼女はつき合っている彼にそう言ってみた。
彼は同情の感じられない声で、「ふぅん」と言い、
「早く病院に行けば?」と言っただけで、歩いて十五分とかからない彼女のアパートにさえ、
見舞いに来る気はなさそうだった。
そう遠くない別れの日を、彼女はありありと目の前に思い描いた。
別れの言葉さえも思いついたくらいだった。
ちょっと、メロドラマ風に。

 鈍くしか回らない思考回路をいくら渡り歩いても、ポジティブな言葉は出て来ない。
 「もうほっといて」
彼女はふとんの中でぎゅっと目をつぶり、口を大きく叫ぶように開き、
しかし音に出さずにそう言った。
 仕事はいよいよつまらなく、やりたくて飛び込んだ職種だったはずが
今は何のためにやっているか意味すら分からない。
多分、もう、お金のためだけだ。
 毎月、彼女はそこそこセンスのいい服を買ったが、
家に持ち帰った途端紙袋から出しもせずそこいらにほったらかしにすることが多くあった。
今も中身を思い出せない紙袋がほうぼうにつっ立っている。
部屋も肝心なところが片付かないまま、表面上だけを取り繕っている。
「こんな部屋にいたくない、いたくない」
彼女は化粧を始めた。
思い切り濃いめのメイクにしようと思った。
アイライナーが切れていた。
 彼女はあからさまに舌打ちした。
恨めしげに空のアイライナーを見た後、思いっきりゴミ箱に向けてぶつけるように投げつけた。
アイライナーはゴミ箱に当たり、当たり前、と言わんばかりにどこかへ弾け飛んで行った。
多分、見つかるのは数ヶ月後だ。

 外で猫が鳴いた。きっと二匹だ、と思う。
おたがいに向かって会話するように呼び合っている。
彼女は猫好きだったので、鳴き声を心地よく聞いた。
そして少し、それまでよりは深く息を吐いた。
その時やっと、自分の体からブスブスとつき出ている棘を、
数本くらいなら抜いてもいいかな、と思えた。
 彼女は鳴き声の主たちの姿を探しながらバス道路まで歩いて出た。
途中でシマ猫と出会ったが、直感的にその猫ではない気がした。
たるんだ空気の渦巻くバスに揺られながら、誰へとも知れない言い訳を考えていた。
誰に話すでもなく。

 天神に到着した。
バスのステップを降りるごと、ツキの悪さと一段ずつおさらばすることにした。
かわりに運転手が疲れた様子で小さくため息をついた。
 ひとしきり服や靴を見て回り、新しいアイライナーを買い、
好きなブランドの新作の香水の匂いを嗅いだ。ドラッグストアで予備のマスクも調達した。
気分はやや落ち着いてきていた。
帰りの手段を少し考え、「歩いて帰ろう」と思った。

 けやき通りを歩く。藍鼠色の空に向かって黒い枝がぴりぴりと、叫ぶように伸びている。
わざとゆっくり、きょろきょろしながら歩く。
セールの時だけ入る靴屋、好きだった喫茶店の入っていたビル。
もっと行っておけば良かったと思う度、
後味の悪いチェーン店のコーヒーの味が脳内を巡る。
好きな本屋、何か占い的に飛び込んでは、
その時々の答えをくれる本を買う。
あまり通ることのない、いくつかの似た様子の路地。
雰囲気の好きなイタリアンレストラン、
年に数回行くタイ料理屋。
けれども今日の彼女は、あることだけを探していた。
「せめて何かひとつ、今日の私にいいことをください」

 よそ見に疲れて通りをふらふら歩いていると、白い光がぼんわりと光っていた。
店の看板のようで、何度も通っていた道だったのに今まで気付かなかった店だった。
「野菜ソムリエ?」
同時にここのところまともな食事を取っていなかったことを思い出したが、
それよりも切実なことに、おなかがすいていた。
 階段を二階へと上がると、ガラス越しに白いカウンターテーブルが光っていた。
カウンターには新聞を広げたサラリーマン風の人、
テーブルには一組の落ち着いた夫婦っぽい二人、それと・・・
「いらっしゃいませ」
彼女は店の中に入っていた。

 メニューをぱらぱらと見て、一番上に載っている日替わりセットを頼んだ。
たぶん、それがその日の彼女に必要なメニューなのだ。
店内は広すぎるでもなく、小さすぎるでもなく、ちょうど腰掛けた椅子の感触のように、
ジャストサイズで居心地の好い空間だった。
ギアをニュートラルに入れるイメージで、背もたれにもたれかかる。

 彼女は仕事のことを考えた。いつ頃から仕事を楽しめなくなったんだろう。
いつの間に、失敗を恐れ、あらゆることに先回りをしすぎ、
頑なにそれをスタイルにしてしまったんだろう。
やってもやっても回ってくる仕事。
妙に気を回すことばかりを覚えて、ほんとに大切な、「楽しむ感覚」がぼやけたのかなぁ。
人のあらばっかり見えて・・・

「お待たせしました」
細長いプレートに、ちょこちょこといろいろな野菜が乗っかっている。
「あ、どうも」彼女は軽くおじぎした。目を皿の上に置いたまま、
手を伸ばしてれんこん模様の箸立てからお箸を取る。
かぶを食べる。何気なく口に運んだが、口がおどろいていた。
ほんのり甘く、やわらかく、味に深みがある。
かぶなんて、食べたのいつ以来だろう。
間違いなく一人暮らしを始めてから買ってない。
こんな味だったんだっけ。
にんじん。間違いない、甘い。砂糖で甘いんじゃない、
にんじんが甘くなろうと決めたら、こんな味という甘さというか。
彼女は農業はおろか、家庭菜園なんてものにすら、興味は微塵もなかった。
けれど何となく、本能がそれと感じるものがあった。
「土なんだよ」という言葉が聞こえた。
次は、れんこん。軽く衣がついていて、からりと揚げてある。
それを口に入れると、シャク、という音がした。
れんこんは、もちっとした食感と、気持ちいい歯ごたえとで彼女を満たした。
青菜の煮浸しは味が薄いはずなのにしっかりと味わいがある。
マジックだ。
どうやってこんな風に味付けが出来るのかわからない。

 ふと、彼女は箸の手を止めた。
「私、この野菜とつながってる」
お互いの存在に気付いて触れ合う、といった感じ、いや、野菜が一方的に与えてくれてるのか。
彼女はなるべくゆっくり、ひとつひとつを丁寧に食べていった。
どれも、無造作に食べてしまうにはもったいないやさしさに満ちていた。
ぴかぴかと光るごはんも、お味噌汁も、メインのおかずも、一粒たりとも残さず食べあげた。
それは彼女がというよりは、彼女の体が望んでいたことのようだった。
思いもよらない食事に、頭がほうけたようになって、一面のガラス窓の外の、
すっかり暗くなったけやき通りを眺める。
「私、もう少しまともな生活をしよう。今までの生活じゃジャンクそのものだよ」
クシャクシャ、とマスクが入ったビニールが音を立てて笑った。

 店の階段を降りると、一本の木が目に入った。
どんなに疎い人だって幹の肌をちょっと見れば分かる。それは桜の木だった。
春になったら、ここは桜が咲くんだ。
入る時に見た光る看板を見る。
ニコレ。
その店の名前だった。

 帰り道、彼女はわき目もふらず、しかしゆったりと歩いた。
ある予感が降りてきた。
きっとこの帰りにあの猫たちに会える。
間違いない、会える。
そしたら「さっき何を話していたの?」って聞こう。
逃げようとしたら、追いかけてやるから。
ふと携帯を見ると、彼氏からの不在着信が入っていた。
「さっきはごめん」のメールも。

 彼女は夜道を踊るように歩いた。
小道に逸れてからは、誰も見ていないのを確認し、
3回、大きなサークルを描いてステップまで踏んだ。
子どもの頃、褒められたことのある創作ダンスだ。
彼女が踊った後に、猫が続く、その猫をもう一匹の猫が追いかける。
誰もつかまらないから、三匹は大きなサークルの中を回り続ける。
夜の舞台を、いつまでも、飽きることもなく。
彼女はますます猫たちに会いたくなり、けやき通りにありがとう、
と呟き、家路を急いだ。

春を待つ月が、彼女の後をゆっくり追いかけていった。

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テーマ:お話 - ジャンル:その他

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